今年8月3日から福島県立美術館の開館40年を記念した企画展「みんなの福島県立美術館 その歩みとこれから」が開催されています。同展では美術館が最初に購入した作品として、20世紀のアメリカを代表するリアリズムの画家、アンドリュー・ワイエス(Andrew Wyeth,1917-2009)の《松ぼっくり男爵》(1976)が展示されています。テンペラという古典的技法で描かれた作品で、2013年、「美の巨人たち」(テレビ東京)で不思議なタイトルのこの作品がとりあげられ、話題となったのを覚えている方もいらっしゃると思います。
1974年、当時日本ではほとんど知られていなかったワイエスの展覧会が東京国立近代美術館で開催されました(京都国立近代美術館に巡回、日本経済新聞社と共催)。同年は東京国立博物館「モナ・リザ展」、国立西洋美術館「セザンヌ展」と話題の展覧会が開催予定、集客も懸念されたうえ、交渉も難航したそうです。“主催者側は赤字覚悟で同展開催を決断した”(瀧悌三 はじめに―日本初個展のこと〈ワイエス 現代美術 第3巻 講談社 1995〉p81)と書かれるぐらいの期待の薄さでしたが、予想に反して入場者は16万人超えの爆発的な人気を集めました。
個展成功から4年、日本橋三越(本店)で1978年(10月24日~11月5日)「アンドリュー・ワイエス展―アメリカの心の故郷を描く」(日本経済新聞社主催,同展ポスター(図2))が開催されます。三越札幌支店(11月14日~11月19日)、三越神戸支店(11月21日~12月3日)に巡回されています。百貨店特有の短い会期にも関わらず展覧会カタログ(図3)が刊行されているのですが、掲載図版はカラー24点と東京国立近代美術館のカタログ(図1)の12点から倍増、巻頭にはワイエス本人の“日本のみなさまへ”と題するメッセージもあり、並々ならぬ思いが込められた展覧会であることが分かります。
“私は、謙虚な気持で、私の作品を日本に送ります。というのは、かねがね私は、芸術に対する日本人の正しい理解は、画面を通じてその背後までも見抜く能力を持つ明確な洞察力からきていると感じている からです”
本書「百貨店展覧会史―戦後昭和の世相と文化の記録」の同展概要(p286)には以下の記載があります。
“初期から最新作まで未公開のテンペラ画10点、水彩画60余点、前回の日本での展覧会(74年東京国立近代美術館)以降の近作を中心に日本初公開の78点。アメリカ商品フェアに併催”
ここに書かれた“未公開のテンペラ画”の1点が、福島県立美術館が最初に購入した《松ぼっくり男爵》でした。開設準備中の1980年に購入されており、関係者が観たであろうことは想像に難くありません。1981年には同展出品《冬の水車小屋》(1978)、東京国立近代美術館の展覧会出品《ガニング・ロックス》(1966)などと共にワイエス作品が4点購入されています。日本での人気の高まりとともに、新設美術館の目玉としてワイエス作品が購入され、さらには80年代以降、中学・高校の美術の教科書にもとりあげられるようになりました。本書編集担当の自分も教科書に載っていた《アルヴァロとクリスティーナ》(1968)でその存在を知った一人です。
国立美術館の初個展で成功を収めた後、なぜ百貨店で個展なのか?という疑問に答えるかのように、当時の百貨店を取り巻く状況が「百貨店展覧会史」巻頭の「百貨店の展覧会―概論」(p11,12)で触れられています。
“東京国立博物館の陳列室に冷暖房が入るようになったのは、外国からの観覧客が多くなるという理由で64年の東京オリンピックの時にようやくであったが、都内百貨店ではすでに50年代にはどこの店でも冷暖房設備を完備していた。このように展覧会展示のノウハウやテクニックの蓄積があり、資金もあり、展示環境も整っていて、他に適当な場所がないとなれば、百貨店に展覧会が集中するのは当然と言えるが、公的な美術館・博物館側も展示機能は自らと同等もしくはそれ以上と認め、さらに文化芸術の展覧会を百貨店で行うことには何の違和感ももっていなかったようである”
(中略)
“70年代にも国立科学博物館が館外での教育普及活動の展覧会を企画した際、会場は都内、地方とも百貨店であったこと、新聞社企画の大規模な美術展の巡回では、東京は百貨店で地方は公立美術館を会場とするなど、百貨店は公的な美術館・博物館と同じと考えられていた”
編者である志賀健二郎氏が百貨店展覧会の実績をデータ化しようと思った経緯は、著書「百貨店の展覧会─昭和のみせもの1945-1988」(2018年、筑摩書房)のあとがきに詳しく書かれています。川崎市市民ミュージアム館長時代に過去の美術展覧会情報をデータベースで調べた際、百貨店の扱いが不備であることに気づいたことがきっかけでした。「日本の美術展覧会記録1945-2005」(国立新美術館)では百貨店の美術展は美術館開催のものに限られていて、日本橋三越のワイエス展は記載がありません。「美術展覧会開催情報」(東京文化財研究所)には記載があるのですが、会期・会場といったデータのみです。志賀氏が百貨店の新聞社告、社史、カタログといった様々な情報源を丹念に調査することで、会期・会場・主催だけでなく、入場料金や内容といった貴重な情報がデータ化され、本書の刊行に結びついています。
本書は開催期間が短く捉えにくい百貨店展覧会の貴重な記録であり、また芸術、文化、歴史、経済、産業を含む現代史資料でもあります。美術展の例を挙げましたが、様々な分野の展覧会が一覧出来る初の資料として本書が広く利用されることを願っています。(編集担当・K)
『百貨店展覧会史―戦後昭和の世相と文化の記録』
志賀健二郎〔編〕 B5・620p 2024.7刊
定価19,800円(本体18,000円+税10%)
ISBN:978-4-8169-3017-1
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