稀代のSPレコード蒐集家の岡田則夫さん編集の『特選上方漫才 SPレコード文句集成』を刊行しました。SPレコードとは「Standard Playing Record」の略で、明治・大正・昭和にかけて普及した、LP盤/EP盤以前のレコード盤です。シェラック(樹脂)製で、硬度が高く摩耗に強いため、1分間に78回転という高速回転で再生しますが、割れやすいのが特徴です。
SPレコードは、音楽だけでなく音声を収録するメディア(音声記録媒体)と言われます。片面3~5分間の収録が可能で、声や音を簡単に保存できるため、歌謡曲、流行歌、劇音楽、民謡、浪曲、詩吟、唱歌、童謡、講演、演説、漫談、落語など、実に様々なジャンルの“音源”が残されました。1925年(大正14年)に日本でラジオ放送が始まって以降も庶民の間のSPレコード人気に陰りはなかったようです。
本書は「上方漫才」に特化して岡田さんが厳選し、戦前戦後のSPレコードに付属する「文句カード」を完全復刻したものです。今でいう「歌詞カード」に当たるものですね。岡田さんによると、
「文句カード」は、レコードに録音された詞章(歌詞や言葉)を活字化した印刷物である。昔のSPレコードには録音が不完全で、語句が聴き取りにくいものもあり、そういう時の便宜をはかるために考案されたものと思われる。文句カードは袋に入れたレコードに添付して販売された。文句カード1頁の寸法はタテ約19.5㎝×横13.5㎝が各社標準寸法で、用紙は厚紙ではなく、新聞紙位の薄い紙が用いられ、裏が透けて見えるような粗末な紙質のものも多かった。大変散逸しやすいもので、特に漫才のような庶民向けのレコードは乱雑に扱われたためか、レコード本体よりも残存数が少ないのが現状である。
さて、「文句カード」で文字化された漫才の文句はかなり正確です。百聞は一見に如かず。本書は影印本ですが、以下、当記事のためにテキスト化しました。戦前の上方の夫婦漫才、河内家正春・春子の話芸をご堪能ください。
萬歳 民衆的英語(河内家正春 河内家春子) オリムピアレコード 105A
(上)
囃子………「サア 「ハア 「馬鹿馬鹿しいお笑ひを、オールドミス、春子の應援に依りまして 「マア、オールドミスなんて随分ひどいはねえ 「ハア 「まだうら恥かしい處女をとらへてさ 「うら恥かしい處女 「エー 「誰が處女 「妾が 「貴女が處女 「エー 「何とまア古い處女ですな 「何です其云ひかたは 「けれども御婦人はお徳ですな 「そらさうですとも 「いくらお年を召していらして、少々顔の皮にたるみがあらうが 「おかしな云ひ方ですな 「濃厚に名キヤツプを施して、ステージに立つ 「出ますと 「誰が見たつて十五六はお若く見えますからね、 「アラ、妾のほんとうの年より 「いゝえ、お母さんより 「そらあたりまへですがな貴方 「さうかい 「世の中に年下な母がありますか 「一概に云えますまい 「どうしてです 「僕のお母さんなんかズーと年下ですが 「貴万より 「イヤお婆さんより 「何を云ふんです此の人は 「エー兎に角私は、貴方が應援者であると云ふ事は、如何に心強いか知れません 「さうですか 「貴女が又大變美しくてゐらつしやるからね 「いやさうでもないですよ 「今日は又随分おめかしで 「目に立ちますか 「何と云ふんですかそのお髷の格恰は 「これが耳かくしのオールバツクと云ふの 「耳かくしのオールバツク、よくお似合ですな 「有難う 「と云ふのが丁度顔がオペラバツクの様ぢやから 「ロが悪いですな貴方は 「イヤイヤ口は惡いかはりに、至つて精神はよろしいですか 「良くないんで 「取得の無い人ですがな 「貴女何ですか 「ハア 「それは外國から流行て来た髷と云ふ事聞いてゐますが 「エーさうですの 「彼方の方へいらした事があるんですか 「妾これでも洋行歸りよ 「洋行 「エー 「ホヽどちらへ洋行なすつた 「英國の方へ、 「英吉利西へ 「エー 「彼地でも朝起きるとやつぱり、お早ようと云ひますか 「それは變つておりますねぇ 「どう云ひます 「グツトモーングサ 「ホーまるで江州の伊吹山へでも行つた様ですな 「どうしてです 「グツト握つたもぐさてんでせう 「貴方の云ふのはお灸すえるもぐさ 「ハア 「妾の云ふのはグツトモーングサ 「ハア、グツドモーニング 「お婿様のことでもハスバンド 「夫の事を 「エー 「夏マント 「夏マントと云つたらこれから着るもんです 「ハヽン 「ハスバンド 「アーハスバンド 「猫の事をキヤツト 「猫がキヤツト 「おぼへときなさい、 「アヽそれ、鼠をペストてんですな 「ペストと云ふたら徽菌ですよ 「あら徴菌、貴女あの徽菌と云ふ言因が判りますか 「貴方に判つておりますか 「斯う云ふ事を調べるのが僕一つの道樂でありますが 「感心ですな 「鼠を一匹捕えて、警察に届ける 「ハア 「平常はこれ三錢で買ひあげる 「ハヽン 「でこのペストと云ふ病氣が流行る時分には、あの鼠が病氣の媒介をする 「ハア 「ですからこれを捕獲奨勵策として五錢にあげる 「ハヽン 「三錢が殆ど倍額の五錢になるから、これバイキンと斯う云ふ 「阿呆な事、あれは倍にならいでも徽菌と云ふて別にあるんですがな 「違ひますか 「大違ひですとも 「ハヽ。
萬歳 民衆的英語(河内家正春 河内家春子) オリムピアレコード 105B
(下)
「大体日本人であれば 「ハア 「日本語を辨へて居れば充分であるべき筈 「そらさうですとも 「然るに當今は、荀も一等國民たる、我々同胞にとつて、英語と云ふものは欠ぐべがらざる常識的修養のーつである 「ハヽン 「なんてな事を云つて、やたらにこの中學なんかで英語を教える 「さうです 「それは誠に結構ですが、日本全國で、一年間に中學を卒業する人が、統計的に云ふと約五萬人ある 「大勢ですな 「これらの内で、五千人の人が大學或ひは専門學校 に登つて行く 「ハヽン 「残される四萬五千人の人が、社會に出て、この英語なるもを實用してゐる人は、殆ど稀である 「さうですか 「今の日本としては、使ひ道がない、仕方がないから、たかだか商品のレツテルを讀んだり、或はカフエーに行つて、女の袖を曳く時に使つてみたり、殆んどこの英語なるものが遺棄される 「惜しい事ですな 「その遺棄された英語をば拾つて使つてる人が現代に澤山ある 「さうですか 「自動車に電車の車掌さん 「あの人が「オーライ・ストッブ、あれ皆な拾ひ英語になつてる 「阿呆な事云ひなはんな貴方 「大体この、必要のない英語をば、他の學科より以上な頭をなやまして、貴重なる時間を費して、研究するの必要は全々なからうと我輩は感ずる、ヒヤヒヤ 「貴方がヒヤヒヤ云はいでもよろしい、 「ハヽかう云ふ處からヒントを得て、尤もユーモアに富み 「ハア 「且つ趣味のある、然かも老人から子供に至るまで、一聞にして其意味を解する事が出來得ると云ふ、現代に尤も相應しい、民衆的英語ど云ふのを作製に、我輩は苦心しつゝある 「感心ですな貴方は 「二三完成したのがあるから、貴女にまで御紹介します 「早速聞かして下さい 「貴方の様な女を私の民衆的英語で、ノーカラと云ふ 「どうしてノーカラです 「腦が空で馬鹿ぢやから 「ほつときなはれ、何と氣にさはる英語ですな 「で、この女中即ち下女の事をば、メーシタキと斯う云ふ 「判りきつてますがな 「うどんにおそば、或はそうめん、これをばツーツー 「可愛いもんですな 「高下駄或は利久 「下駄の事を 「齒の這入つた下駄をばカラコロと斯う云ふ 「ホン 「で闇夜の晩 「ハア 「エ、ツキデーン 「ツキデーン 「ハア 「ハン 「月が出ぬから闇夜でせう 「そらさうです 「物を買求める 「ハア 「カネトコーカン 「あたりまへですがな交換するのは 「これ離すとやゝこしい 「ハン 「五つかためてしやべると立派な英語に聞こえる 「さうですか、 「處に面白味がある 「成程ね 「英語ですから、言葉の後先になるのはのがれません 「ハア、 「落着いて聞いていただく 「聞かして下さい 「カネトコーカンカラコロツーツーエツキデーンメーシタキ 「何です其英語は 「エツ 「そんなん聞くと舌嚙みますがな 「やりぞこなふと僕ヒキツケがくる 「たいさうな英語ですな 「これでーつ、やゝこしいラツパ節を 「出來ますか 「唄えます 「唄ふて下さい 「よろしい、うちの金と交換からころつうつう月出ん飯炊き 「アこりやこりや 「隣の金と交換からころつうつう月出ん飯炊き、向ひの金と交換からころつうつう月出ん飯炊き、三つ合はして三うちの三金と三交換ウワ…………これなかなかむつかしい 「やゝこしい唄ですな。
大学研究でSPレコードを一次史料として扱うケースも増えてきたそうです。が、SPレコードは趣味性が高く、全貌が可視化されていないと言われています。国立国会図書館未所蔵のものも少なくない岡田コレクションの中から、関西の“生きた話ことば”の記録を抽出した本書は、学術研究に資する価値が高いのではないかと期待しています。(竹)
『特選上方漫才 SPレコード文句集成』
岡田則夫〔編〕 B5・430p 2024.6刊
定価29,700円(本体27,000円+税10%)
ISBN:978-4-8169-3014-0
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