企画推進室の(竹)です。
前回、弊社『NEW斎藤和英大辞典 新版』(2022年8月刊)に纏わるコラムの中で以下のエピソードをご紹介しました。
英語教師をしていた漱石は、英語の「I love you」を生徒に翻訳させる際、「日本人は直接的な愛の表現をしない。『月が綺麗ですね』とでも訳しておきなさい」と言ったとか言わなかったとか。
この事実関係について、国立国会図書館レファレンス協同データベースを調べてみました。「夏目漱石&月が綺麗ですね」で検索してみると、岐阜県図書館のレファレンス事例がヒットしました。しかし、残念ながら、確かな根拠を示す資料を見つけることができず、「未解決」でした。
【提供館】岐阜県図書館 (2110001)
【管理番号】岐県図-2060
【事例作成日】2013年07月30日
【登録日時】2014年10月10日 13時01分
【更新日時】2015年04月01日 17時15分
【質問】夏目漱石が「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳したとされる根拠となる文献はないか。
【回答】確かな根拠を示す資料を見つけることはできませんでした。―中略―
○漱石と逸話
・『珈琲店のシェイクスピア』
p.236につかこうへいの発言で、夏目漱石の有名な話と記述がありますが、典拠はありません。以下は論文になります。ネット上で本文を見ることもできます。
・福田眞人/著「明治翻訳語のおもしろさ」
(「言語文化研究叢書 7」名古屋大学大学 2008.3)
( http://www.lang.nagoya-u.ac.jp/proj/sosho/7/fukuda.pdf )
p.136に「漱石は、それを「月が奇麗ですね」と訳したとされる」とありますが、その典拠はありませんでした。・今野喜和人/著「長田秋濤訳『椿姫』における恋愛表現をめぐって」
(「翻訳の文化/文化の翻訳 6別冊」静岡大学人文学部翻訳文化研究会出版)
( http://ir.lib.shizuoka.ac.jp/bitstream/10297/5704/1/6S-0011.pdf(静岡大学学術リポジトリ))
p.14の脚注に「伝説と化している」と記載されていますが、こちらも典拠はありません。【登録番号】1000160743
国立国会図書館レファレンス協同データベースより転載(抜粋)
【解決/未解決】未解決
ところで、漱石(1867~1916年)と同じ世代の斎藤秀三郎(1866~1929年)にもこうした面白エピソードが残されています。略伝を読むと、相当痛快な快男子だったようです。
通常、英語を「外国語」として学習する者にとって、ネイティブに対するコンプレックスを完全に拭い去るのは難しいものです。いくら外国語を学んだところで、所詮ネイティブには敵わないという、ある種の諦念が付きまといます。ところが、彼は、英語が先進国文化として仰がれていた明治時代にあってシェイクスピア劇を演じるイギリス人の役者に向かって「てめえたちの英語はなっちゃいねえ!」と英語で一喝したそうです。生来、斎藤先生は耳がよく、発音がよかったと言われています。
第二高等学校の助教授を辞めた時のエピソードがまた痛快です。当時、彼が教えていた『人間論』( A.ポウプ著 1734年)が生徒には難しすぎるというクレームをアメリカ人主任から受けたところ、「米人には難しくて解らないかも知れぬが、日本人には解る」と毅然として言い放ったそうです。
また、教え子に対しては「西洋人のそばへ行つて“Sir,…”なんて質問なんかして居るやうぢや駄目だ、『おい君』といふやうな対等の位置に安んじ得るやうに早く成つて呉れないぢや困るよ」(『英語の日本』第九巻第一七号)とこぼしたそうです。
生涯一度も海外に出ることのなかった斎藤先生ですが、これらの武勇伝は外国語としての英語を究めた者の自負からくるのでしょう。英語の勉強時間のほとんどを読書に費やし、工部大学校在学中、僅か3年間で図書館にあった英書をすべて読破したという強者ならでは、の豪快なエピソードですね。(竹)
『NEW斎藤和英大辞典 新版』 斎藤秀三郎著 A5・1,940p 2022.8刊 日外アソシエーツ 定価8,800円(本体8,000円+税10%) ISBN978-4-8169-2934-2 https://www.nichigai.co.jp/PDF/2934-2.pdf
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